RSS | ATOM | SEARCH
『選択の科学』について (商売のヒント vol.28)

今年もあっという間の12月となりました。東日本震災の時は、確定申告の最中で、ビルの鉄骨のきしみ音と激しい揺れに逃げることもできず、ただ収まるのを待つだけという人間の無力さ感じていたのを思い出します。また、なでしこジャパンの女子ワールドカップの優勝の瞬間には、心の底から湧きだす喜びの感情で胸がいっぱいになったのを覚えています。夏からはギリシャの債務危機問題が収まるところを見せずに続いています。秋は台風が立て続けにやってきました。冬が近づくとタイの集中豪雨による水没被害など、かなり印象的な一年になったのではないでしょうか。昭和の時代には、出来事をだいたい昭和何年というように覚えていたのですが、平成になってからは西暦で覚えることが多くなってきたように思います。ただ、先日お客様のところで見たカレンダーは「昭和86年」と書かれていて妙に納得してしまいました。ちなみに昭和100年は2025年になります。そのころの日本の消費税は何%になっているのでしょうか?皆様はいかがお考えですか?

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第28回目を始めましょう。

 

『選択の科学』について

12月11日の夕方、帰宅してテレビをつけてチャンネルをいろいろ変えていたら、「コロンビア白熱教室」という番組が目に入りました。コロンビアというので、コロンビアの国の風土を紹介する番組か、スペースシャトルのコロンビアを紹介する番組かと思って観てみると、アメリカのニューヨークにあるコロンビア大学のビジネススクールでの講義をそのまま放送する番組だったのです。全5回放送の3回目だったのですが、シーナ・アイエンガーという女性の教授が冒頭の部分でチェスの元王者ガルリ・カスパロフの話をしました。私自身は、カスパロフの名前は憶えていませんでしたがスーパーコンピューターとチェスの対戦をして勝った負けたと話題になったことは記憶していました。

アイエンガー教授の授業を紹介します。

そのカスパロフが著書で、何が良い選択を生むのかということについて自分の強さは生まれ持った能力によるものではないといいます。非凡な記憶力や駒の動きを予測し先の展開を読む能力とは関係ないというのです。代わりに彼はこう述べています。私たちは日々数えきれないほどの決断をしている。チェスのチャンピオンであろうと会社の重役だろうと毎日さまざまな決断をする。だからどうすればいい決断ができるか考える必要がある。唯一の方法は、「うまくできただろうか」「それはなぜか」と自問して心を鍛えることだ。心を鍛えれば素晴らしい決断ができるようになる。それがカスパロフの考えです。

この冒頭の部分の講義で私は思わず引き込まれてしまい、1時間の時間があっという間に過ぎてしまいました。もう一つ、面白かったのは、「プロスペクト理論」の紹介でした。

いま、次のような状況の時、人間はどのように決断するかというものです。

A.無条件で今すぐ100ドル貰える。

B.二分の一の確率の賭けに勝てば200ドル貰える。負けたらゼロ。

この場合は、どちらも貰えるということですので利益になります。AかBか選択する時、自分の利益になるものであれば多くの人間はリスク回避という行動を決断し、Aを選択するというのです。

また、反対に

.無条件に今すぐ100ドル支払う。

. 二分の一の確率の賭けに勝てば支払わなくてもいい。負けたら200ドル。

という損失の決断をする場合、多くの人間はリスクをいとわない選択をするというものです。この場合にはDの200ドル支払うかゼロかに賭ける、つまりリスクを取って自分の財産を守る選択をする傾向があるということです。

このABCDの期待値、つまり貰ったり払ったりする数学的確率はどれも一緒なのだけれども、実際の人間の選択は片寄りがあるという理論だそうです。

この理論なども、商品説明やプレゼンなどに応用できそうですね。例えば「何日まで値引きセール」というPOPと、言葉は適切ではないかもしれませんが「今買わないと損します」というPOPの場合、お客様は「何日まで値引きセール」というお客様にとって利益になるという視点のものであればリスクを取らない、つまり先送りにする傾向があると言えますし、「今買わないと損します」という損失という視点のPOPの場合は、あえてリスクを取って購入する傾向があるということなのではないでしょうか?

本当にとても面白い講義だったのですが、見逃した1回目2回目の内容を知りたくてシーナ・アイエンガー教授の本が文芸春秋社から出版されているとのことでしたので、すぐに買い求めました。原題は「The Art of Choosing」邦題は「選択の科学」です。何ともひどい邦訳の題名で、たとえば「選択という芸術」とかいろいろ考えられるのにとか著者が可哀そうとか思いましたが、とりあえず読んでみました。すると、結構商売の参考になりそうなことがいろいろ書いてあるのでシリーズで皆様にご紹介していきたいと思います。今回は、その中で第1講の「選択は本能である」という章から社長は長生きするという部分をお伝えします。

私たち人間は、動物のように監禁されるおそれ(動物園の動物のこと)には直面していないかもしれない。しかし、全体の利益のために、個人の選択を部分的に制限するような体制を、自ら進んで生み出し、それに従っている。私たちが投票によって法律を作ったり、契約を履行したり、有給で雇用されたりするのは、そうしなければ混沌状態に陥ることを知っているからだ。だがこのような制限のメリットを合理的に認識する能力と、それを回避しようとする本能とがかち合ったら、一体どうなるのだろう。生活の中で、この自由と統制のバランスをうまく図れるかどうかが、健康のカギを握る。

ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジのマイケル・マーモット教授が、数十年にわたって指揮している研究プロジェクト、ホワイトホール研究は、選択の自由度に対する認識が健康に大きな影響を及ぼすことを、強力に実証する。この研究では1967年以来、イギリスの20歳から64歳の公務員男性1万人余りを追跡調査して、様々な職業階層に属する公務員の健康状態を比較している。この結果、「モーレツ上司が心臓発作を起こして45歳でポックリ逝く」といった型にはまったイメージと、まったく正反対の結果が出たのである。収入の高い仕事ほどプレッシャーが大きいにもかかわらず、環状動脈性心臓病で死亡する確率は、最も低い職業階層の公務員(ドアマンなど)が、最も高い階層の公務員の3倍も高かったのだ。これは一つには、低位層の公務員が高位層に比べて、喫煙率や肥満率が高く、定期的に運動する習慣がなかったせいでもある。だが、喫煙、肥満、運動習慣の違いを考慮に入れても、最下層の公務員が心臓病で死ぬ確率は、まだ最上層の二倍も高かった。最も地位が高い人は収入も高く、自分の生活をコントロールしやすいからという見方もできるが、それだけでは低位層の公務員の方が健康状態が悪いことを証明できない。社会的な基準からすれば富裕な部類に入る、二番目に高い階層の公務員(医師、法曹関係、その他の専門職など)でさえ、上司に比べれば、健康リスクが著しく高かったのだ。

後で分かったことだが、このような結果をもたらした主な理由は、職業階層の高さと仕事に対する自己決定権の度合いが、直接的に相関していたことにあった。上役はもちろん収入が高かったが、それより大事なことに、自分自身の部下の仕事の采配を握っていた。企業の最高経営責任者にとって、会社の利益責任を負うことは、たしかに大きなストレスにはなるが、それよりもその部下の、何枚あるかわからないメモをページ順に並べるといった仕事の方が、ずっとストレスが高かったのだ。仕事上の裁量の度合いが小さければ小さいほど、勤務時間中の血圧は高かった。さらに言えば、在宅中の血圧と、仕事に対する自己決定権の度合いとの間に、関係は認められなかった。つまりこのことは、勤務時間中の血圧の急上昇を引き起こした原因が、自分で仕事の内容を決められないことにあることを、はっきり示していた。仕事に対する裁量権がほとんどない人たちは、背中のコリや腰痛を訴えることが多かったほか、一般に病欠が多く、精神疾患が高かった。これらは飼育動物によく見られる常同症の人間版であり、その結果、彼らの生活の質は著しく低下したのだ。中略・・・

それなら出世の階段を上れない、または上らないことを選ぶ人たちに、一体希望はあるのだろうか?ホワイトホール研究は、確かに不安をかき立てるが、希望もあることを示唆している。この研究で、人々の健康に最も大きな影響を与えた要因は、人々が実際にもっていた自己決定権の大きさではなく、その認識にあった。実際、下位層の公務員は、上位層よりも仕事の自由度は少なかったが、同じ階層内でも、自分の仕事の自由度がどれくらいあるかという認識と、それに対応する健康状態は、人によって大きく違ったのだ。つまり十分な報酬を得ていても、日々無力感を抱いている重役は、低賃金の郵便係と同じように、前述のような症状に苦しめられるということになる。

飼育動物とは違い、人間の自己決定権や無力感のとらえ方は、外部の力だけで決まるわけではない。人間は、世界に対する見方を変えることで、選択を生み出す能力を持っているのだ。死より生を選んだキャラハンは極端な例だが、たとえ状況が自分の手に負えないように思えても、自分の力で何とかするという気持ちを持つことで、より健康で幸せな日々を送ることはできる。人生の辛い出来事を不可抗力のせいにする人は、自分次第で何とでもなると信じている人に比べて、鬱病にかかりやすいほか、薬物依存や虐待関係といった破滅的な状況から抜け出せず、心臓発作が起きても助かる確率は低く、そのうえ免疫システムの低下やぜんそく、関節炎、潰瘍、頭痛、腰痛に悩まされやすいという。それではいわゆる「後天的な楽天主義」を培うには、何が必要だろうか?つまり、どうすれば人生の痛手に黙って耐えるのではなく、ものごとの見方を変えて、自分の力で何とでもなるという意識を持つことができるのだろうか?

というわけで社長は長生きするという部分をご紹介いたしました。いろいろ面白い実験をしている研究者がいるものですね。やはり、参考になるのは、一から十まですべて管理された職場で、社員の自由裁量権が少ないほど間違いが起こりにくいという昨今のマネジメント風潮というのは、確かに仕事上では間違いが起こりにくいかもしれませんが、社員の健康には間違いが起こりやすいということですね。ひいては、社員のヤル気にも当然影響するでしょうし、業績にも当然反映してくるものと思われます。鬱病が最近増えているというのも管理マネジメントが個人の裁量というものを狭めるスタンスになってきているのとは無縁ではないでしょう。ただ、同じ裁量権でも受け止める個人によって大きく感じる人もいれば、小さく感じる人もいる。その感じ方次第でヤル気や健康に大きくかかわってくるということは、社員に対する伝え方次第で同じルーチンワークでも会社が動物園の檻の中と感じてしまうか、自己実現の場と感じるか天国と地獄の差が出てくるということになります。お互い、社員を抱える立場の人間にとって自由裁量権を大きく感じさせるというのは一工夫できそうなポイントだと思いますがいかがでしょうか?

author:吉村 以知郎, category:2011年, 15:19
comments(0), trackbacks(0), - -
『会社のこだわり』について (商売のヒント vol.26)

お彼岸を境にして、本当に秋らしい穏やかな日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?このような気候は関東だけかもしれませんが、今年の秋は10年に1度くらいの本当に秋らしい秋なのではないでしょうか。東京の秋はキンモクセイが始まりを告げるような気がします。北海道にはキンモクセイがなく、40歳を過ぎたあたりから、キンモクセイとはどのようなものか知りました。小さな黄色い花から漂ういい香りは本当に心が休まるようないい香りですね。ほんの数日間だけですが、毎朝キンモクセイの香りを楽しんでいました。

毎月、この「商売のヒント」をお届けしているわけですが、私のような人間が書く文章でも、意外な方が「いつも、読んでいるよ」とか「面白かったね」と言っていただけるのには、本当に励みにもなり、気恥ずかしい気持ちにもなり、ちょっと複雑な心境です。毎月、題材を見つけるまでがとても苦労しますが、応援していただいている方がいらっしゃるのでライフワークとして続けていこうと思っております。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第26回目を始めましょう。

 

『会社のこだわり』について

最近、特に感じることなのですが、繁盛している企業や利益が出ている企業には、その企業独自の「何らかのこだわり」を持っているように思います。例えば、品質であったり、商売の仕方、いろいろあるとは思いますが「何らかのこだわり」がある程度前面に出ているところが繁盛していたり、利益が出ているように思えます。

この「こだわり」は、飲食店などに顕著に現れますので、たいした経験はないのですが、わかりやすいのでご紹介いたします。

以前、門前仲町で富岡八幡と深川不動を仲間と見学に行った帰り道、どこかで軽く飲もうということになり、当てもなく裏通りを歩いていると、仲間の一人が「浅七」という小さい看板の店を見つけました。今頃の秋の季節だったと思います。外から見た雰囲気がよさそうなので入ってみると、和風の板の間にテーブルが数列並んでいる店でした。靴を脱ぎ、上がって座布団に座る最近はやりの掘りごたつにもなっていない、あぐらをかいて座るしかない店です。メニューを見ると、こちらも和風の田楽や漬物などです。飲み物は、日本酒の種類はたくさんあるのですが、ビールや洋酒は見当たりません。私は日本酒がちょっと苦手なので「ビールはありますか?」と聞いたところ「うちは日本酒だけです。お客様には、必ずお銚子一本ご注文いただくようにお願いしております。」という返事です。私以外は皆、日本酒が大好きな方だったので大喜びしています。この店は「日本酒と日本酒に合う料理」専門店で、その趣向に合う人に飲んでもらい喜んでもらうというのがこだわりのようです。「そこのところがわからない人は来てもらわなくて結構」という、店が客を選ぶスタンスです。ただし、「そこのところがわかる人には心底満足してもらえる」日本酒やメニューの品揃え品質に徹底してこだわりぬく姿勢が見えます。当事務所のお客様ではないので、財務状況はわかりませんが、長年の勘でおおよその見当はつきます。(自慢ではないですが結構当たっているのでびっくりされます。)たぶん、借入金は少なく、分相応に繁盛しているように思えます。お店がお客様を選んでいるのですから、大きく利益は出せませんが「経営者として、やりがいのある商売」をしているのです。資金繰りに汲々とすることなく、常に「わかってくれるお客様」を喜ばすためにはどうしたらいいかを考えて試してみる。そういう商売は本当にやりがい生きがいがあるように思えます。

次は、事務所のすぐそばの人形町にある「いわ瀬」というお店です。昼は定食もやっているようですが夜がメインのお店です。30席くらいのこじんまりとしたお店です。最初は、お客様に教えてもらい、ご一緒させていただきました。このお店は静岡出身のママさんとご主人のお二人でやられています。静岡の食材や「磯自慢」という静岡のおいしいお酒があるお店です。夜は大体予約で8割方埋まっています。こちらのお店のこだわりは「お店の雰囲気」と「おいしい料理」になると思います。聞けば、ママさんは日本画が趣味か本職かはわからないですがご自分の描いた絵を壁に飾られています。床やテーブルは木製ですが、開店するまで何か月もかかって気に入る色になるまで塗装をご自分でやられたそうです。普通は、店を開くとなったら一日でも早く開店して現金収入を得たいと思うのが一般的というかほとんどだと思います。そのスピードと引き換えに、自分のこだわりを捨ててしまうものだと思います。ところが、ここのママさんは、本当に気に入るまで妥協しなかったことで、目先の現金収入より後々の商売繁盛を手に入れたのだと思います。このような、ある意味「気ちがい」じみた女性のご主人が作る料理は、推して知るべしで本当に心のこもったおいしい料理を作ってくれます。予約の場合は一人4000円からという料理のコースのお値段となっていますが、ご一緒した方は、みなさん「この料理でこの値段は安い」とおっしゃっています。景気の影響も多少あるでしょうが、いつ行ってもほとんどのテーブルに「予約席」と書かれた札が置いてあるのはママさんの「こだわり」のおかげではないでしょうか。

もう1軒ご紹介します。丸の内の有楽町寄りに「TOKIA」という大きいビルがあります。そこの地下1階がレストランになっていて、「インディアンカレー」というお店があります。大阪では有名なカレー屋さんのようですが、私は知りませんでした。ある飲食店の経営者の方とお話をしていた時に、「あの味が出せれば大もうけできるのに。いろいろ研究してみたけど、どうしてもあの味が出せないんだよ」とおっしゃっていたので、場所を聞いてすぐ食べに行ってみました。たしか750円くらいだったと思いますが、本当に不思議な味がしました。テレビのレポーターのように上手に表現ができないのですが、口に入れてすぐはとても甘い味がします。ところが、次の瞬間、辛さがいきなり来ます。食べている間中、この甘さと辛さが交互に舌に来る感じです。一番不思議なのは、食べ終わった後、1時間くらい今度は甘さが口の中に残るような感じで、後を引くおいしさという表現が適切かもしれません。お店が、もっと近くにあったら1週間に2回くらい食べに行きたくなるお店です。ホームページを見てみると、インドから先生を招いてカレー作りを勉強したと書いてあります。カレーのご飯の盛り付けや、カレーのルーをかける方はかなり修業してから任されるとも書いてあります。味にもこだわり、盛り付け、ルーがけ、接客にまでとことんこだわったお店がお客様からも受け入れられている、本当にやりがいのある商売のように私は思います。

さて、飲食業の「商売のこだわり」について、私自身の少ない経験の中からいくつかご紹介いたしましたが、皆様は私より多くのお店をご存じのことと思います。同じように「こだわり」という視点でお考えいただくと繁盛しているお店と、そうでないお店の差がよくわかるのではないでしょうか。もちろん「値段」にこだわる店も当然ありますが、中小企業で考えた場合、仕入れの取引量で大手にはかないようがありません。「値段」の高い安いはお客様の価値観の問題であり、その商品に対してお客様が心の中で付けた値段と、経営者が付けた値段との比較になると思います。「こだわり」さえきっちり持っていれば正々堂々とお客様と値段で勝負できるのではないでしょうか。

皆様のご商売は千差万別だと思います。何々業というくくりで表わせるものもあれば、その組み合わせになっていたり、今までの業種に当てはまらない商売もあるでしょう。ですので飲食業がわかりやすいので、飲食業の事例をご紹介いたしましたが、この「こだわり」というものはすべての商売に通じる普遍性のあるものだと思います。表現の仕方で「差別化」と言ったり、「使命」と言ったり、「コンセプト」と言ったりいろいろあるとは思います。ですが、「こだわり」という言葉が私には一番ぴったりくるのですがいかがでしょうか。アパレルにしても「安さ」というこだわりだけでは、いずれ限界が来るはずです。食べ物は、本来的に生存するために最低限必要なものですが、おいしい食べ物を食べている時の幸福感と、まずいものを食べている時の生理的欲求を満たしているだけの気持ちを考えると雲泥の差があると思います。アパレルも本来的には、寒さをしのぐという役割があるのでしょうが、「カッコイイものを着たい」という欲求が人間にはあると思います。「カッコイイ」の判断基準は千差万別で、ある人には「カッコイイ」でも違う人はそうは思わないでしょう。でも、経営者が「うちの会社はこれが「カッコイイ」と思うがどうだ!!」という一切妥協を抜きにしたものを世に問うてみるという姿勢が必要なのではないでしょうか。

当事務所のお客様の中にも「検品だけは絶対に妥協しない」という「こだわり」を持ったお客様がいらっしゃいます。そのために、いつも仕入れ先とトラブルをおこし、そのたびに私に電話がかかってくるのですが、経営自体は堅実な経営をされています。仕入れ先は、自分の作ったものに「こだわり」を持っておらず、言われたとおりに仕上げればいいと考えて納品しているのだと思います。需要が供給を上回っている時代ならそれでも通用するでしょうが、今の時代では難しいのではないでしょうか。お客様の「こだわり」をしっかりと認識し、正当な値段でこだわり抜いたものを納品する姿勢が必要かなと思います。

「会社のこだわり」についてお話してきましたが、このようなお話をさせていただくと、「あそこは特別だから」とおっしゃる方が結構いらっしゃいます。今回、例に挙げた飲食店も、どの店も徹底的にこだわり抜いて今の商売をなさっているように思えます。徹底的にこだわる過程には、人並み外れた努力があってこその今なのではないでしょうか。「あそこは特別」と思う前に、「そうありたい」と強く思うことが先と思うのですがいかがでしょうか?

先頃、亡くなったアップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学での卒業スピーチがニュースで報道され私は初めて知ったのですが、インターネットでその和訳を読んでみると非常に感動的なスピーチでした。最後の部分の「stay hungry,stay foolish」は「ハングリーであれ、愚かであれ」と訳されていますが「こだわり抜け、こだわり続けろ」と私には響いてきました。

author:吉村 以知郎, category:2011年, 15:29
comments(0), trackbacks(0), - -
『医は仁術?』について (商売のヒント vol.25)

台風12号は、本当にゆっくりな台風で大雨による被害が、かなり大きいことに驚いています。犠牲者が100人を超える台風は近年でもあまり記憶にありません。東日本大震災のときに、欧州のメディアだったと思いますが、「日本人はすぐ災害を忘れる民族だ」と評論していたメディアがありましたが、毎年、何回も台風に襲われ、地震に揺らされしていると、生きている人間は過去を引きずるより前を向いた方がいいという気持ちになるのかもしれません。ただ、私は昭和34年北海道の函館生まれですが、物心ついた子供の頃から台風の季節になると昭和29年の「洞爺丸台風」の話をいろいろな方から教わりました。その頃は、気象衛星もなく台風の進路や詳しい位置などもわからない時代でしょうから、台風の目に入ったのを台風が通り過ぎたと誤解して出港した青函連絡船洞爺丸が、港を出てすぐ座礁し1000人以上の犠牲者を出した話です。水上勉の「飢餓海峡」のモデルになった事件です。ただ、そのころの大人は、10年以上たっても子供に台風の恐ろしさの話を実際にしていました。学校の先生だけではなく、近所の人々などからも何回も話を聞いた記憶があります。どういう目的で子供に話そうとしたのかは今となっては定かではないですが、「生きる知恵」を授ける習慣がそのころの大人にはあったのかもしれません。今の大人である私たちがこのような「生きる知恵」を何人の子供たちに伝えられているか少々不安です。

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第25回目を始めましょう。

 

『医は仁術?』について

数年前に、中学校の同窓会というより同級会といった方がいいかもしれませんが、函館で循環器科か何かの医者と結婚したMさんという女性から、次のような質問をいきなりされました。「毎年、確定申告でかなりの税金が還付になるのだけれど、何か不動産でも買った方がいいのかなあ?」という質問です。彼女は、元JALの国際線のスチュワーデスをやっていて、その後、中学校の先輩の医者と結婚しました。ご主人は、函館でもかなり腕のいいことで知られるお医者様で、勤務医の後、独立したそうです。彼女の質問で、毎年確定申告で還付になるというのは、社会保険診療報酬は毎月20万円を控除した残りに対し10%の源泉徴収がされて入金になるので、たとえばその月の診療報酬が100万円だとしたら、20万円控除して残りの80万円の10%ですので8万円控除された92万円が入金になるということです。8万円は所得税の前払いですので、確定申告で払いすぎていれば還付になるということです。私はこのように回答しました。「カネは、額に汗して稼ぐものだ。楽して儲けても意味はないと思う。もし、カネが余るというのなら、高額な医療機器を買って、高度の治療をするのが患者さんも喜ぶし、いいんじゃないの」と言いました。どこをどうすれば、このような回答が即座に出てくるのか自分でも不思議でしたが、彼女もご主人も、儲け第一主義の人間ではないことはわかっていたので、そのような言葉が出てきたのかもしれません。それを聞いた彼女は「そうだよね。吉村君、偉いわね。自分でもそういうふうに考えてやっているんでしょ」というような反応でした。後半の「自分でもそういうふうに考えてやっている」という部分は、ゴルフでチョコレートを賭けたりしているので100%そうかどうか自信がないですが、小遣いの部分を除いては基本線は間違っていないと思います。その後、しばらく会っていないので彼女がどうしたかは知りませんが、その時点での判断材料にはなったのではないかと思います。

話は変わりますが、歯科医院の数と、コンビニエンスストアの数はどちらが多いと思われますか?

平成19年の商業統計調査(経済産業省)ではコンビニの数は43,654件と報告されています。それに対し、平成17年の医業施設調査(厚生労働省)では歯科医院の数は66,732件と報告されています。比較年度は2年ほど違いますが大勢に影響の出るような増減はないものと思われます。コンビニより23,000件も多いのが歯科医院ということになります。もっとも、東京近郊ではコンビニも結構ありますが、地方などは点在しているため大きくかい離しているものと思われます。確かに私の実家がある函館の旧市街でも、40年前は結構、商店があったのですが今は商店の数は10分の1以下になっています。その中で目立つのは郵便局と歯科医院程度のものです。埼玉の自宅のそばにも数件の歯科医院があります。

さて、各国税局では各年度毎の業種別の確定申告による所得金額を発表しています。例えば、東京国税局の平成21年度の申告所得税の統計情報によりますと歯科医は単純平均で856万円の所得になります。歯科医以外の病院・診療所経営者は2096万円ですので半分以下となっています。因みに札幌国税局では歯科医は単純平均で844万円の所得になり、歯科医以外の病院・診療所経営者は2630万円です。比較として東京国税局管内では、弁護士は1143万円、税理士は713万円となっています。この数値は、単純平均ですので上の人もいれば下の人もいるわけですが、このような数値は上の人に引っ張られる傾向があります。例えば国民の平均貯蓄額などまさにこの傾向があります。平成19年の厚生労働省発表によれば1世帯当たり1143万円だそうです。誰がそんなに持っているのかと信じられない数字ですよね。そのようなわけで、中身を見ていくと平成21年に東京国税局管内で所得税を納税した歯科医は14,236人いまして、そのうち500万円以下の人は31%、500万円から1000万円までが32%、1000万円から1500万円までが19%、それ以上が18%となっています。それ以外に損失申告をした人も1557人います。1000万円以下の方が全体の65%、3人に2人が1000万円以下か赤字ということになります。それでも平均所得で856万円なのですから、普通のサラリーマンよりはずっといいと思われる方もいるでしょう。しかし、そうでしょうか?TKC21年版経営指標の黒字企業平均によると歯科医院の平均借入金は短期借入金が390万円長期借入金が2002万円、合わせて2392万円となっています。短期借入金というのは、ご承知の通り一年以内に返す借入金です。そうすると、平均所得が856万円で、そこから借入の返済が390万円引かれたら差引466万円しか残りません。減価償却費は330万ほどありますので実質は60万程度しか目減りしないかもしれませんが、減価償却というのは新しく買換えるための貯蓄という側面がありますので、すべて使ってしまうと次に新しい機械を入れられなくなります。診療ユニットが1台500万円から1000万円近くする物もあるようですので、平均3台ですと最低1500万円は開業時に必要となり、その他造作等も入れれば軽く2000万円は開業資金として必要となるでしょう。私立大学の歯学部は授業料が平均3000万円を超えますので、開業までに5000万円以上必要となる計算です。

コンビニより多くなった歯科医は、今後、生き残りのための差別化が待ったなしで必要になってくるようです。

さて、本題に戻りますが、先月ある勉強会で先輩の税理士さんの成功事例を聞く機会がありました。その方は、今年に入って医者のお客様が5件以上増えているとのことでした。聞くところによると、歯科医ではない医院のお客様だそうです。医院を経営されている年齢的に私ぐらいの50歳前後のお医者様だそうです。その方たちの一様な不安は、自分達の医院が、この先10年程で歯科医院のように過当競争になり、経営的に苦しくなるのではないかという不安だそうです。基本的に患者さんのことを考え、患者さんの為になり、「ありがとうございました」と言ってもらえるようにしたらいいと私は思うのですが、患者さんより自分が大事という思考法の方たちみたいです。それで、その税理士の先生はどういう指導をしたかというと「都心の一等地にある事務所用の不動産物件を買って、それを貸すと1割以上の利回りが得られます。先生方は、今現在は金融機関からの信用も得られているはずですので、1億位は簡単に貸すでしょう。しかし、10年後はどうかわかりません。1億で1割利回りがあると1000万毎年収入が得られますよ。2億だったら2000万でほぼ今の所得が得られる計算になります」というような指導のようです。その指導をしたら、すぐに仲間の医者の先生にも紹介したらしく5件ほど増えたということです。

私は、この話を聞いて貝原益軒の「養生訓」を思い出しました。すこし、ご紹介いたします。

養生訓(中公文庫 P147

医は仁術

医は仁術である。仁愛の心を本とし、人を救うのを志とすべきである。自分の利益ばかり考えてはいけない。天地の生育し給うた人間を救済して、万民の生死をつかさどる術であるから、医者のことを民の使命というくらい、きわめて大事な職分である。他の術は下手であっても、人の生命に害はない。医術の上手下手は、人命にかかわる。人をたすける術で、人をそこなってはならぬ。学問のよくできる才能のある人を選んで医者にすべきである。医学を学ぶものが、もし生まれつき鈍で、才能がなかったら、自分からさとって早くやめ、医者にならぬのがよい。才能がないと、医道に通じないで、天の寵を受けている人を多く傷つけることになって、罪が深い。天道を畏れるべきだ。他にも職業がたくさんあるのだから、何か得意な仕事もあるだろう。それを務めて習うがよい。・・・後略

これは、養生訓の中で「択医」という章の中に書かれている一節です。医者を選ぶ基準や、医者を職業とする人たちへの志を貝原益軒が教えてくれているわけです。

私自身は、誰が不動産を買っても、または貸しても別にどうとは思いませんが、ちょっと「???」の残る勉強会でした。

author:吉村 以知郎, category:2011年, 15:27
comments(0), trackbacks(0), - -
『どんな会社?』について (商売のヒント vol.24)

台風が過ぎてから、急に涼しくなり8月になっても夏らくしない天気が続いておりますが、いかがお過ごしですか?実は、7月12日に、いつもお世話になっている司法書士の魚本晶子先生の事務所と合同で「暑気払い」を新宿で開催したのですが、10日ほどでその効果が現れたみたいですが少々効き目が強すぎたのかもしれません。10年くらい前にも、「暑気払い」と称して飲み会をやった年がありましたが、その時も効果がすぐに出て「冷夏」になってしまった記憶があり「暑気払い」と称して飲み会をやるのを控えていたのですが、どうも私の「暑気払い」は実効性があるみたいで不思議な気持ちです。こんなに「払い」が効くのなら、少しも前に進めない「菅払い」とか「放射能払い」など、どんどんやった方が日本のためになるのかもしれません。皆様、何かご一緒に「〜払い」をやりましょうか?

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第24回目を始めましょう。

 

『どんな会社?』について

以前にも、若者3人の会社のパンフレットを作成したお話をご紹介いたしましたが、もう1社お手伝いを始めた会社があります。店舗の内装デザインの会社なのですが、例の若者3人の会社のパンフレットをお見せするとご自分の会社でも作ってみたいとおっしゃられました。7月の終わりに表紙が完成したのですが1回2時間ほどで6回、計12時間ほどかかっています。その中で一番大変なのは、「会社の使命」の部分です。すべての時間の3分の2程度かかっている感じがします。ものの本には、「使命を明確にせよ」とか「経営理念とは」など、いろいろ書かれています。けれども、私を含めて「経営理念は何ですか?」とか「あなたの会社の使命は何ですか?」と聞かれたときに、すぐに明確な答えが出てくる会社はかなり少ないように感じます。

 

今回はマーケティングの神様と呼ばれているフィリップ・コトラーの「コトラーのマーケティング入門 第4版」という本の44Pに「使命の提示」という部分がありますので、ご紹介いたします。

経営者が組織の停滞を感じる場合には、目的を新たに探さなければならない。その際、自分に次の問いかけをしなければならない。我々の事業は何であるか。顧客は誰であるのか。消費者は何を価値あるものと評価するのか。事業はどうあるべきか。一見単純なこうした問いは、企業がたえず答えを出さなければならないもののなかで、実はもっとも難しい。しかし、成功している企業はたえずこれらを自問して、慎重にかつ見事にそれに答えている。

これらの問いに答えを出せるような使命を公に掲げている組織は多い。使命の提示とはつまり、組織の目的、すなわち、より大きな環境の中で組織が何を達成したいかを提示することである。明確な使命の提示は、従業員を導く「見えざる手」の役割を果たすのだ。

従来、企業は製品に基づいて「我々は家具を製造している」、あるいは技術に基づいて「我々は化学処理の会社である」と自分の事業を定義してきた。しかし、使命の提示は市場志向であるべきだ。事業を市場に基づいて定義する方が、製品や技術に基づいて定義するより優れている。製品や技術はいずれ廃れていくが、基本的な市場ニーズはなくなることがないからだ。市場志向の使命の提示は、基本的な顧客ニーズを満たすという立場から事業を定義する。たとえばAT&Tは、電話事業ではなく、通信事業を行う会社なのである。シティバンクVISAは同社の事業について、クレジットカードを発行することではなく、顧客が価値を交換できるようにすること、つまり、顧客が国内に持っている預金や株式などの資産を、実質的に世界中の何とでも、どこでも交換できるようにすること、と定義している。また、3Mはその事業を、単に接着剤、科学機器、ヘルスケア製品を製造する以上の事業と定義している。3Mは、革新技術を活用して、人々の抱える問題を解決する企業なのである。

経営者は企業の使命を狭めすぎたり、逆に広げすぎたりするのを避けなければならない。ある鉛筆メーカーが、自社の事業をコミュニケーション機器事業とうたうとすれば、それは使命の広げすぎである。使命は現実的であるべきで、たとえばシンガポール航空が、世界最大の航空会社になることがその使命であるとしたら、考え違いをしているといえよう。使命はまた、具体的でなければならない。使命の提示はPR目的で書かれるため、具体性に欠け、実行可能な指針にならないことが多い。「最高品質の製品を作り、最高のサービスを最も安い価格で提供することによって、業界における一流企業を目指す」という声明は聞こえはいいが、あまりに漠然としているし矛盾がある。このような声明は、企業が重大な決断を下す際の役には立たない。使命は、市場環境に適合するものでもなければならない。アメリカのガールスカウトは「少女に母親や妻の務めへの準備をさせる」といった従来の使命のままでは、今日のような環境でうまく新会員を集めることはできないだろう。組織は、その使命の根拠を、組織を特徴づける能力におかなければならない。マクドナルドがかりに太陽エネルギー事業に参入できたとしても、その事業では、多数の顧客向けに低価格の食べ物と迅速なサービスを提供するコア・コンピタンス(事業の中核となる能力)を活用できないだろう。

最後に、使命の提示は従業員にやる気を起こさせるものでなければならない。企業の使命は、売上や利益を増加させるという声明であってはいけない。利益は有意義な活動を行ったことに対する報酬にすぎない。従業員は、自分の仕事が重要であり、それが人々の生活に貢献していると感じなければならない。IBMと、巨大コンピュータ・ソフトウエア企業であるマイクロソフトの使命を比較してみよう。IBMの売上高が500億ドルだった時代、ジョン・エイカーズ社長は、IBMの目標は今世紀の終わりまでに1000億ドル企業になることだと表明した。これに対して、マイクロソフトの長期目標はIAYF(Information at your fingertips)、すなわち「すべての人が欲しい情報をすぐに手に入れられること」である。マイクロソフトの使命は、IBMの使命に比べてずっと従業員にやる気を起こさせる。

最近のある調査で、「ビジョナリー」カンパニー(「ビジョンを追及する」企業)は、利益を上げること以外の目的を企業の使命にしていることが明らかになった。例えば、ウォルト・ディズニー社の目的は、「人々を幸せにすること」である。しかし、このような使命の声明が利益をうたっていないとしても、それは結果的についてくる。

 

私自身、この本は平成11年か12年頃に買って読んでいるはずなのですが、この使命の部分についてそれほど興味深く読んだ記憶はありません。ところが、今読み直してみると、実に深い示唆に富んだ言葉が並べられていることに驚いています。読み手が年を取ったからか、経験を積んだからかはわかりませんが、実際にお客様と会社の使命の部分を一緒に考えて創り出す作業を経験して、コトラーの言葉が生き生きと感じられるようになりました。

「市場志向」「現実的」「具体的」「市場環境に適合」「組織を特徴づける能力」「やる気を起こさせる」というキーワードは、現実に作成するうえで無意識に使っていた部分です。しかし、プロは無意識を分析する必要があります。この部分は、コトラーのいう「具体的」の部分だというように分析して、初めて普遍化できるのだと思います。

現実にお客様と「使命」を考えていて一番感じたのは、「何をやるためにこの会社はあるのか」という部分です。例えば、人間には名前があり、顔かたち容姿風貌があります。「あの人は、これこれこういう人だ」というときに、名前だけでなく「いかつい人」とか「優しい人」「いい人」など、いろいろ形容詞をつけることによって、知らない人もそれを聞いて勝手に想像できたりします。電話帳のように業種と名前と住所だけの情報なら勝手な想像もしにくく、他人に紹介することすらできないと思います。今はインターネットでいろいろ検索もできますが、それにしても「この会社は、このようなこだわりを持って仕事に取り組んでいます」というような根っこの部分を言葉にする努力が足りないように思えます。その根っこの部分を、みんなで言葉にすることにより、言葉に魂が宿るような気がします。ぜひとも、皆様の会社でも根っこの部分を言葉にされたらよろしいように思います。

author:吉村 以知郎, category:2011年, 15:25
comments(0), trackbacks(0), - -
『心はどこにある?』について (商売のヒント vol.23)

梅雨明けを間近に感じるこの頃の天気ですが、暦はもう7月になってしまいました。6月の後半に吉村会計事務所初の一泊の社員旅行に行ってまいりました。今までは、日帰り旅行だったのですが今年は、思い切って一泊にしてみました。私自身は、以前から一泊でも二泊でも楽しいならば旅行に行きたいと思っていたのですが、それよりも社員は「日帰りはいいけど一泊は嫌なんじゃないか」とか「せっかくの休みをつぶされるのは嫌なんじゃないか」など勝手に思い込んで一泊旅行はしないできました。確かに、そういう思いは社員に少なからずあるとは思いますが、それよりも、ちょっと強引かもしれませんがあえて昔ながらの社員旅行は、その費用対効果を考えると充分おつりがくるくらいいいものだったような気がします。震災で国内旅行が減っている今こそ、安くていいところに行けるチャンスのような気もします。ぜひ、皆様の会社もお考えになられたらいかがでしょうか?

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第23回目を始めましょう。

 

『心はどこにある?』について

今年も気が付いたら7月に入り、1年の半分以上が終わってしまったわけですが、この原稿を書いているのは7月6日で、数えてみると今年になって186日過ぎたことになるようです。確かに、今年の186日は、今までにないくらいの激動の186日ですが、過ぎてみるとあっという間に感じられます。ついでに私が生まれてから何日経ったかを計算してみると18,873日経っているようです。なぜか、今年が過ぎた日数の101倍生きてきたみたいです。

最近、特に感じるのは仕事やプライベートでお会いする方々が、私より若い年齢の方の割合が私自身の感覚では6割程度なのですが、実際に年齢を聞いてみると私より若いのでびっくりするケースが増えていることを考えると7割程度なのかもしれません。仕事柄20代30代の頃は、私より若い方の割合が1割2割程度だったのですが、気が付くと6割7割にも達していることに本当にびっくりしています。こんな感覚は私だけなのかもしれませんが、肉体は確かにだんだん衰えてはいますが、今、こうして原稿を書いている自分の意識、心、精神はあまり年を取るということはないような気がします。意識、心、精神は、向上、停滞、退化という方向性はあるような気がしますが、成長、衰えという肉体とは少し違うものなのかもしれません。その意識や心、精神と肉体のギャップが自分より若干若い人を自分より年上に見てしまうもとなのかもしれません。そのようなことを考えていたら、私が尊敬する哲学者の故池田晶子さんの「14歳からの哲学」という本の58Pに「心はどこにある」という面白い文章があるので、ちょっと長くなりますがご紹介します。

多くの人は、目に見える体のことを自分だと思っているのに、一方では、目に見えない心こそが本当の自分なんだとも思っている。他人からは見えない心こそが、他人にはわからない本当の自分なんだというふうにだ。でも、これも、よく考えるとなんだかおかしいと思わないか。

だって、心というものは、他人から見えないだけじゃなくて、自分にだって見えないものではないだろうか。自分の心を目で見た人はいますか。触ったことのある人はいますか。見えも触れもしないのに、そんなものがあると、どうしてわかるのですか。

わかりますよ、だって実際に嬉しかったり悲しかったりするんだもの。

その通りだね。でも、実際に嬉しかったり悲しかったりするその心は、では、実際には、どこにあるのだろう。心は、どこにあるのだろうか。

そう問えば、たぶん君は、何となく胸のあたりを押さえるだろう。でも、そこにあるのは、心ではなくて心臓だ。すると君は、次には頭を指すかもしれない。でも、そこにあるのは心ではなくて脳だよね。目に見える脳の目に見えない働きが、意識つまり心だとする科学の説明は、半分だけ正しい。嬉しい時には脳内にエンドルフィンという物質が分泌されるというあの説明だ。実際にそれは確認される事実だからだ。

でも、ここで立ち止まってみよう。ではこの時、嬉しいという感情と、エンドルフィンの分泌と、どっちが先なのだろうか。嬉しいからエンドルフィンが分泌されるのだろうか、エンドルフィンが分泌されるから嬉しいのだろうか。

もし、どちらかが先であるなら、両者は同じものでない別のものということになる。でも、別のものなら、嬉しいという感情がエンドルフィンという物質であるという説明はおかしいことになるね。そして、もし両者が同時、嬉しいという感情とエンドルフィンの分泌とが同時であるとするなら、なるほど嬉しいという感情がエンドルフィンという物質であることになるけれど、でも、じゃあ感情が物質であるって、いったいどういうことなんだろう。エンドルフィン分子のどこに、「嬉しい」が見えるのだろう。分子なら、いくら小さくても電子顕微鏡でうんと拡大すれば見えるけれども、「嬉しい」なんか、どうやったって、目で見ることはできないじゃないか。

遺伝子による説明だって同じことだ。君は、自分がこういう性格なのは遺伝子のせいだから仕方ないんだって、言い訳みたいにしていることはないかな。なるほど、短気な人はみな同じ遺伝子の配列をしているとしよう。でも、じゃあ短気という性格は、なぜその遺伝子なのだろう。なぜ、その性格がその遺伝子なのだろう。「その遺伝子だからその性格だ」は、答えになっていないとわかるね。だって、その遺伝子であるところのその性格であるのはなぜなのかが、この場合の問題なんだから。遺伝子だから仕方ないって、ちっとも言い訳になってないことなんだ。

科学は、目に見える物によって目に見えない心を説明しているにすぎないということを、常に忘れないようにしよう。説明は決して解答じゃないんだ。科学は物質を指して、それが心だと言っているわけじゃないんだ。残念なことに、現代の科学者たちのほとんどが、物質がそのまま心だと間違えて思っているけれど、君はこれからの人なんだから、この点を決して間違えないように考えていって下さい。他でもない君自身の人生にとって、とても大事なところです。遺伝子で決まっているんだから仕方ないって一生をあきらめるなんて、もったいないじゃないか。

まあ、こんなふうに、科学による説明が入ってくると、かえって話がややこしくなるだけだと覚えておくだけでもいい。科学に説明されなくたって、君は、心というものがある、心が心であるということを、ちゃんとわかっているからね。心というのは、目に見える物ではなくて、目には見えないもの、「これが心だ」という仕方で示すことのできない、もっと捉えどころのない、もっと不思議なものなんだ。

「心」という言葉があるせいで、人はつい、そういう何かが物みたいにどこかにあるようなつもりになってしまうけど、その意味では、心なんてどこにもない。だって、君が悲しい気持ちになっている時、その悲しい気持ちはどこにあるだろう。頭にあるのでも胸にあるのでもなくて、ただ悲しいという気持ちが明らかにあるだけじゃないだろうか。いつもの友だちの顔を見ても悲しいし、どこかへ出かけても悲しい。その悲しいという気持ちが、すべてを悲しくしているんだから、その意味では、心とはすべてなんだ。体のどこかに心があるのではなくて、心がすべてとしてあるんだ。君の心が、人生のすべてをそんなふうにしているんだ。だから、心のことは人生の基本、物より心を大事にしなさいと、昔から人々が言ってきたのは、確かに根拠のあることなんだ。

さて「君の心」といま言ったけれども、心とは、君がもっているものなんだろうか、それとも、君が心なんだろうか。今度はこれを考えてみよう。

だいたいの人は、その性格が自分なんだと思っているだろう。明るかったり暗かったり、短気だったり弱気だったり、「そんな私です」というふうに、自己紹介するよね。でも、だとすると、「そんな私です」と言っているのは、どの私なんだろう。自分の性格はこれこれこんなふうですと、観察したり分析したりしているのは、どの自分なんだろう。

もし自分というのが自分の性格のことなのだったら、そんな観察や分析はできないはずだ。友だちの性格はこんなふうだって、他人にはよくわかるのに、本人は全然気づいてないってことがあるね。そんなふうに、自分の性格を冷静に観察、分析して自覚することができるということは、自分の中に自分でない部分、自分のことを他人みたいに見ることができる部分があるということなんだ。

性格なんて変わらないものではないし、感情なんかしょっちゅう変わっているものだ。もし君というものが、そういう移ろい変わる心そのものなのだったら、そういう移ろい変わる心を通して、君が変わらずに同じ君であることがわかるのは、なぜなんだろう。やっぱり君が君であるところのもともとの君というのは、性格や感情と別のもの、決して動いたり変わったりすることのない何かなんじゃないだろうか。

目に見えないもの、思いや感じや考えのことをひとまとめにして「心」と呼んでいるけれど、同じ目に見えないものの中でも、動いて変わる部分と、動きも変わりもしない部分とがある。前者が感情、後者が精神だ。感情は感じるもので、精神は考えるものだ。移ろい変わる感じや思いについて、動かずに観察、分析して、そのことがどういうことなのかを考えて知るのが、精神というものの働きだ。心のこの部分があるからこそ、人は、変わらないと思っている性格を変えることもできるのだし、その時その時の気分や感情に流されないですんでいるんだ。もしも心を大事にするということが、その時その時の気分や感情にまかせてしまうことなのだったら、ちっとも心を大事にしていることにはならないじゃないか。

だからといって、気分や感情はいけないもの、つまらないものだというわけでもない。気分や感情、そういうものの人それぞれの傾向としての性格や人格というもの、それらがそのまま自分であるのではないけれど、それらを感じているのはやっぱり自分でしかないのだから、心というものも、よく考えると、自分であって自分でないような不思議なものだ。体がそうであるのと同じようにね。

考える精神によって、冷静に観察してごらん。気分や感情というものは、それ自体が面白いものだ。どこからかスーッとやってきて、またどこかへスーッと消えてゆくんだ。決して目に見えるものではないけれど、何かそれ自体が別の世界からの訪れであるかのように感じることもあるだろう。友だちが激情に駆られて行動しているさまも、観察してごらん。彼は彼でありながら、彼でないものによって動かされているように見えるね。その見えない力はどこからやってくるのだろう。やってくる思いや感じや考えは、どこからやってくるものなんだろう。

「自分である」ということは、こんなふうに、見える体の側から考えても、見えない心の側から考えても、いや、考えれば考えるほどに、奥が深くて底が知れないものなんだ。何を「自分」と言えばいいのかわからなくなるほど、すべてに広がってゆくものなんだ。すべて、そう、宇宙の果てまでね。宇宙に果てがないのは、自分に果てがないのと、じつは同じことだったとしたら、どうする?

だからこそ、考えてこれより面白いものはないんだ。なにしろ果てがないんだからね。「自分さえよければいいじゃん」て言い方で、考えることをしていない人には、「どの自分のこと?」って訊いてみるといい。どの自分のことを自分だと思っているのってね。外見の体や、くるくる変わる気分なんかを自分だと思っているなら、そんな自分なんて、宇宙に比べりゃ、あんまり大したことないと思わないか。何を自分と思っているかで、その人の自分は決まっているんだ。可笑しいね。

全然わけがわからなくなりましたって言うなら、君、大成功だよ。わからなくなったからこそ、これから考えてゆけるんだ。悩まないで、考えてゆけるんだ。「心の悩み」なんて言っている場合じゃないって、気がついただろう。だって、悩んでいるその心とは何なのか、君は、まるっきりわかっていないと、わかったんだからね。大丈夫、考えてゆけるよ。だって、君には、考える精神があるからだ。


 

ちょっと長い文章でお疲れ様でした。彼女が言っていることは、まず「心はどこにある?」という命題で心とは体の一部ではなく宇宙までも含めた世界全体が心であり、その心次第で人生がいかようにも変わると言っていると思います。そして、次に心の構造として感情と精神に分かれ、精神こそ考える根本、つまり精神で考えると正しい答えが見つかると言っているのだと思います。

彼女は、哲学者でありながら、このような語り口調の平易な文章で「考えるヒント」を私たちに提供してくれた偉人であると私は心から尊敬しています。

忙しい時などは、概ね感情に煩わされて生きている場合が多いように私自身思います。そういうときほど「考える精神」で物事を判断したいものですね。

 

author:吉村 以知郎, category:2011年, 15:23
comments(0), trackbacks(0), - -
『オタク、何屋さん?』について (商売のヒント vol.22)

 今年は、例年より梅雨入りが早く5月27日に梅雨入りでした。台風もこの時期に来たりしていますが、異常気象といえばそうなのかもしれませんが40数億年の地球の歴史から見れば、誤差の範囲内なのかもしれません。梅雨明けは例年7月の「海の日」あたりですので、まだ1月以上蒸し暑い日が続くようですね。古い手帳を見てみると、2003年(平成15年)の6月の終わりに横須賀の走水(はしりみず)という漁港から船でアジ釣りに行っています。この辺のアジやサバは「松輪アジ、サバ」といわれ高級食材となっています。もともと釣りは好きなのですが、基本的に陸から釣るのが好きで船はあまりやりませんが、船釣り好きの先輩に誘われて行きました。天気も良く、波もない絶好の釣り日和だったのですが1時間ほどで船酔いがひどくダウンしてしまいました。みなさん6時間ほど釣るので、私だけ帰るわけにもいかず最後まで寝ていることになってしまいました。私の祖父は漁師だったので船酔いにならないDNAを持っていると思っていたのですが、その遺伝子は引き継いでいないようです。よく考えると、お酒も祖父や父は強いのですが私は弱いので「酔いやすい」人間に「進化?」か「退化?」したようです。

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第22回目を始めましょう。

 

『オタク、何屋さん?』について

以前、若者3人で頑張っている会社を応援していると書きましたが、その成果が少しずつ現れてきていますので、ご紹介いたします。彼ら3人はCG(コンピュータ・グラフィックス)の専門学校を経てCG業界に入り独立開業した3人です。独立当初は、競合も比較的少なく、順調な立ち上がりでした。しかし、年々競合が増え、価格低下で近年は順調?に右肩下がりの業績になっていました。皆、一生懸命頑張っているのはわかるのですが、彼ら自身ではどうにもならない状況のようでした。そこで、去年の11月11日に事務所に集まっていただき業績の説明をし、一人当たり生産性を説明しました。当時は一人当たり生産性が30万円割れの状況でした。一人一人に「どのくらい給料が欲しいの?」という質問をしたところ、概ね3人とも「60万円くらいの給料が欲しい」ということです。「そのためにはどうするの?」と聞いたところT君は「仕事を取って、仕事をこなし、お金に換える」と答え、F君は「仕事に結び付ける営業をする」と答え、S君は「営業をかけて仕事をとる」との答えでした。現状の営業方法を聞いてみると、「飛び込み営業はしていない」「今までのお客様まわりをしている」とのことです。いずれにしても現状のままの営業や仕事のやり方では、社会情勢や外部環境がよほど好転しない限り、右肩下がりは避けられないもののように感じました。そこで次回までの宿題として「今、使用している会社を売り込むツールの検討」と「お客様は何を望んでいるかというアンテナを張って客先回りをしてみる」をお願いしました。約1か月後の12月16日、まず、今現在使用している営業ツールを見せてもらいました。事業は映像とWEBの2本柱なので映像のほうを見せてもらうと、DVDに今までの作品をぎっしり入れて内容的には自己満足のいくもののように感じました。どの作品も素晴らしいのですが見終わるのに20分から30分程度かかり、もらったほうの会社の方は、よほど暇でない限り2度と見ないであろうことが予測されました。次にWEBの方を見せていただいたのですが、こちらは今までの作品事例集を分厚いファイルに入れて順番に見せていく方法です。どちらも自分達の品質の高さをアピールしたいとの気持ちはわかるのですが、相手先の事情を理解していないように思えました。常に相手先の意思決定権限を持っている方とお会いできればまだしも、営業の場合、そのようなケースは少ないと思います。その時に、営業先の担当者に一生懸命説明しても、今度は担当者が上司に報告し、上司が意思決定権限者に報告するというプロセスがあるはずです。担当者が上司に「この会社はこのような会社です」と明確に説明できなければ結果がついてこないように思われます。説明の後、補足資料でDVDや作品事例集は効果があるかもしれませんが切り札とはならないように思いました。一方、「お客様は何を望んでいるか」というアンテナを張って客先回りをしてみるという点については、ショッピングモールを手掛けるディベロッパーなどは「IPADや動画を使用したプレゼン資料を作りたい」という要望と「中国での結婚式の映像を作成したい」という要望を聞き出してきました。ただ、今すぐにこの要望をどうこうするより、必要なのは自分達をよくわかってもらう資料を作成することだと思いました。そこで、私が所属しているコンサルタント連合青藍会が実際に使用しているパンフレットを彼らに見せました。このパンフレットには3つの要素があります。第1は「オタク、何屋さん?」第2は「ウチに何してくれるの?」第3は「エッ!ホント?」という要素が1枚の紙に表現されているものです。みなさんの会社にも飛び込みのセールスマンは多かれ少なかれ来ると思います。その時の、対応を頭の中で思い起こしてください。この3つ要素どおりに頭の中は動いていませんか?たいていは1の「オタク何屋さん?」の段階で門前払いだと思いますが、その次は2の要素、そして本当に話を聞いてみようと思うのは3の要素まできて初めてアクションが起きると思います。そのことを説明し、次回は彼らの会社バージョンを作ってみようということになりました。年が明けて121日、まず、「使命」は何かということから始めました。何のために存在するのかという、かなり哲学的な問いかけです。彼ら自身、誰でも一緒だと思いますが、極限まで突き詰めればスタートは生活の糧目当て、つまり金儲けのためということになります。その部分は、ほとんどの事業家がそうなのですから否定する話ではありません。でも、パンフレットに「金のために存在します」とは書けないわけですから、「いままで仕事をやるうえで何かにこだわったことはないの?」「たとえば仕事をやり終えたときいい仕事をしたと思えるのはどんな時?」という質問に変えたところ、「細部にまでこだわって仕事をしています」とか「WEBのレイアウトやカラーにまで結構こだわる」とかいう答えが返ってきました。「どうしてそのようなところにこだわるの?」という質問をしたら「カッケー(カッコ良い)ものを作りたかった。」という言葉が出てきました。「それだ!!」ということで「カッコ良さにこだわる『制作』が使命です」という言葉ができました。今まで自分達は言葉にはしていなかったけれども自分たちなりにこだわって生きてきたわけで、それが個性であり存在意義であるはずです。それを言葉にできた瞬間に他人にも伝わる個性と存在意義になります。この使命が言葉にできたらしめたもので、次から次とアイデアがわいてきます。「オタク、何屋さん?」の部分も「WEBサービス」という事業の総称に少し時間がかかっただけで「お客様にカッコ良さにとことんこだわった、映像とWEBサービスを提供する専門家集団です」という言葉になりました。「とことん」という表現に「エッ、ホント?」という部分が少し含まれていますが、ただの映像制作会社、HP制作会社というのではなく彼ら自身の個性がよくあらわされた言葉となっています。次に「ウチに何してくれるの?」「エッ、ホント?」の部分ですが「3つのお約束」というところで表現しています。いまどきの訴訟社会で初めから「お約束」などという言葉を使うこと自体「エッ、ホント?」なのですが、彼ら自身が今まで普通にやってきたことなので、今までどおりで十分なのです。ただ、言葉にした以上は、今後の仕事は言葉どおりにやっていく必要があり、彼ら自身の仕事に対する覚悟を表現しています。3つのお約束の中身については、彼ら自身が使っている言葉が素人の私にとって理解しづらいものもあったので汎用性を持たせるにはどうしたらいいか、一字一句、それこそこだわって作りました。その1ページ目だけを次ページでご紹介いたしますが、本物の2ページ目は各自のプロフィールを載せてあります。プロフィールには、生年月日、あえて都市名まで入れた出身地、具体的作品まで入れた経歴を記載してあります。3.4.5ページ目は、年度毎に制作実績の代表的なものを小さい写真入りで作ってもらいました。6ページ目は協力会社の一覧を入れて完成です。細部の修正などを28日に協議して216日にやっと完成しました。それでは以下をご覧ください。


 


メデルグラフ(有)のパンフレット


いかがですか?なかなか、インパクトがあると私自身は思っているのですが・・・。

さて、このパンフレットを作成して一番変わったことは何かというと、彼ら自身が一生懸命考えて作成したパンフレットですので自分の会社のことを1時間でも相手に伝えられるようになったことです。今までは、伝えたいことを整理して言葉にしていなかったため、うまく相手に伝えられず理解してもらえなかったと思います。営業の本質は「相手に自分の会社や商品を伝えに行くこと」だと私自身は思っておりますので十分伝えられるようになったと思います。

このパンフレットを一緒に作成した段階で、「あとは、ガンガン営業行ってきてね」ということでお役御免といきたいところですが、新規開拓が彼ら自身、常態化していないわけですので、常に新規開拓する癖がつくまで私が営業部長になって「今月、何件回って各々どういう反応だったか」ということを4月以降やっています。

また、6月からはもう1社同じようにパンフレットを作成し売り上げをアップするお手伝いを始めました。

author:吉村 以知郎, category:2011年, 14:54
comments(0), trackbacks(0), - -
『客商売』について (商売のヒント vol.21)

 5月もゴールデンウィークを過ぎ、春というより初夏や梅雨時のような天気が繰り返されています。草木も急に新緑の芽を出し始めました。晴れていると本当に5月は最高の月のように思います。ところが、急に日焼けがすごくなるのもこの時期です。私もゴールデンウィークに数日、好天の中、外で遊んでいたら一気に日焼けしてしまいました。どうして、こんな風になるのかと調べてみると、紫外線量は太陽の高さと関係があるようです。太陽が高い位置にあるほど紫外線量が増えるということです。電気ストーブの正面にいると暖かいのですが、斜めになると少し寒いのは、赤外線の当る量の差によるものと同じ理屈のようです。そう考えると、一番太陽が高いのは夏至の近辺で、6月中旬頃なのですが、それより約1月半前になります。1月半後は8月初めの一番暑い時期ですから、そのころと概ね同じ太陽の高さといえるのでしょう。8月頃になると日焼けも板についてきて、これ以上黒くならない程度まで進んでいますが、冬を通り越して少し日焼けがさめた肌には急激な変化をもたらすようです。最近は、日焼け止めもいろいろ工夫されてきていますが、生来面倒くさがりの私にはあまり効果がないようです。

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第21回目を始めましょう。

 

『客商売』について

先月から青山のお蕎麦屋さんの相談に乗っています。平成の初めにスタートして10年ほどは順調に推移していたようですが、ここ10年は右肩下がりで、かなり厳しい状況にあるようです。都内のお蕎麦屋さんで修業をして、30歳前後にのれん分けという形で独立されたようです。さて、経営者の方のお話をいろいろ伺っていると「商売が悪くなった」外部要因については非常に事細かに説明なさいます。

1.  同じフロアに外食チェーンが進出し、客がそちらに流れた。

2.  以前は出前でかなり売り上げがあったが最近は少なくなった。

3.  近所の会社の人が食べに来てくれなくなった。

4.  店のつくりがイマイチだ。

5.  昼食に使う値段が下がっている。

6.  同じフロアの飲食店が390円の弁当を販売している。

7.  パート社員が気が利かない。

等々です。外部要因に関して話をさせたら何時間でも話してくれそうな勢いです。今まで、相談する相手もおらず話を聞いてくれる人もなかったようですのでしばらく耳を傾けていました。会計事務所には頼んでいたそうですが、2か月に1回資料を取りに来るだけで、毎月顧問料を3万円も払っていたそうです。会計事務所は、経営の相談をする相手ではないと思っていらっしゃったのか、思わせないような仕事ぶりだったのかはわかりませんが、とにかく相談相手はいらっしゃらなかったようです。この経営者の方が昔から外部要因に詳しい方かどうかはわかりませんが、私にはいつかの時点からそのような思考方法に変わったような気がします。

さて、実は今年の1月22日の土曜日に私は原宿で、友人とコンサートに出かけ終わった後にラーメンか蕎麦でも食べようということになり、偶然そのお蕎麦屋さんの入っているフロアに行きました。夜の10時ころでしたのでファストフード店はすべて閉まっていて、空いていたのは中華料理屋と居酒屋風の店だけでした。仕方がないので中華料理店に入ったのですが、土曜の夜10時過ぎなのに店内は満員でびっくりした記憶があります。味はまあまあですが取り立てておいしいというほどでもありません。その日だけ特別かどうかはわかりませんが繁盛していたことだけは事実です。

そのことをお蕎麦屋さんの経営者に伝えると「あの店は華僑がやっているから華僑の仲間が大勢食べにくる。」という分析をしてくれました。ここまでくるとちょっと病気に近いような気がします。経営者は評論家ではなく、あくまでも実務家でなくてはならないと思います。

日本経営合理化協会の牟田学さんの著書に「社長業」という本があります。その本の192Pに「客商売をやる社長のための商売繁盛戦略」という一節がありますのでご紹介しましょう。

 

客商売をやる社長のための商売繁盛戦略

 

広い意味では事業はすべて客商売であるが、一般的にいう客商売は、物を作る事業とはかなり異なった要素を持っている。そこで、ここに客商売のことだけをとり上げて説明することにした。

  自分の利益より客の利益

客商売はお客様を無視しては成り立たない。

客商売は、たとえ、それがどんな大規模な百貨店やスーパーマーケットでも、小規模な小売店でも、扱うものが衣料や、カメラや、菓子や、文具と異なっていても、また店が食堂でも、薬局でも、美容院でも、医院であってもお客様をおろそかにしてはけして繁盛できない。

三越の創設者、日比翁助氏はその著「商売繁盛の秘訣」「小売店経営の秘訣は他なし、すなわち自他共利に在り、己を利せんとせば先づ人を利し、己を達せんとせば人を達せしめよ。これ商売の秘訣なり」と教えている。

まさしく時代を超えた商売繁盛の哲学である。

昭和の初期に活躍した渡辺玄氏は、当時の中外新報に、商売繁盛の十則を書き記している。

 

商売繁盛十則

一. 自分の利益より客の利益を考えよ

二. 多く儲けるより多く売れ

三. 店主は第一線に立て

四. 目標を定めて進め

五. 人が右へ行けば左に行け

六. 先づお隣の一人を掴め

七. 売るより先づ見せよ

八. 品を売るより結果を売れ

九. 中身のない売り出し宣伝をするな

十. 小僧を廃して販売員を置け

 

これは原文そのままの十則である。文章の表現こそ今とはちがえ、まず、その思想はほとんど変わっていない。

文明がどんなに進歩していっても、変わらないものがたくさんある。それは人間そのものだ。人間は少しも変わらない。

その生業も、生き方や考え方も変わらない。人間は生まれて死ぬし、愛情や善悪や幸不幸に対する感情が、今と昔と変わっているわけがない。変わるものは文明だ。文化や人間は変わらない。

感じが良い店、感じが悪い店を見る顧客の自然な心は、いつの時代でも同じなのだ。

客商売は、こういう人間を相手にしている事業だ。同じお客様に、何回も幾年もかわいがって頂き、商売を永続させなければならない。そのためには数々の努力が必要である。お客様への絶えざる心配り、接し方、人間関係の築き方にいたるまで、細かい配慮を要する。

ところが、客商売を営みながら、しかも、お客様と直接接する機会を持ちながら、そういう努力をしていないところがあまりにも多い。「己の利益ばかりを考えて、せっかくのお客様を逃がしている」

ただ、売りさえすればよい。儲けさえすればどうなってもかまわないという商売をしているところが多い。

「無愛想」「不潔」「粗雑」「感じがとても悪い」「品質が悪い」「高い」といった客商売を平気で行っている。そして「客が少ない、不景気のせいだ」と言って嘆いている。まるで、自分自身に自覚がない。不振の大半は“自己こそ自分の原因”なのである。

お客様を裏切っているのは自分のほうが先なのだ。お客様は一度でうんざりして、二度と利用しなくなっているのだ。

客商売のほとんどが、不特定多数の流動する客を相手に商売をしている。つまり見込み形態の事業が多いのである。それだけに、片方で商品に生命を賭け、もう一方ではお客様に生命を賭けないと、いつまでたっても固定客は作れない。お客様に徹底的に焦点を合わせてサービスを売る姿勢が大切であることはいうまでもない。

 

とても参考になる文章だと思います。この本は私自身の商売のバイブル的存在であり、本当の意味で座右の書です。

 

さて、例のお蕎麦屋さんですが、今後の方向性というか「あなたは一体全体この先どうしたいのですか?」という質問を投げかけGW中にじっくり考えてください、また一緒にやっている奥様ともよく話し合ってください。ということを伝えました。GW後、お会いしたら簡単な事業方針を作成されていました。しかし、その内容は「人間の本質」まで深く考えられたものではなく、うわべ

を繕う一時的なものでした。そのお蕎麦屋さんの経営者は、私が見たところ人柄もよく誰からも好かれる「いい人」なのですが、その人柄が商売に生かされていないことが不振の一番の原因だと考えています。蕎麦屋はこうあるべきだという法律があるわけでもなし、よい人柄を出した「俺の蕎麦」と、「俺の店」という接客、その二つがあればこの先どこでも通用するはずなので次にお会いする日が楽しみです。

author:吉村 以知郎, category:2011年, 14:52
comments(0), trackbacks(0), - -
『今、何をするか?』について (商売のヒント vol.20)

 4月になり桜が咲き始めましたが、なぜかいつもの年の桜とは見え方が違うように思えます。震災や原発事故の影響で心に余裕がないのかもしれません。心の持ち方によって同じ桜を見ても「見え方」が違うというのは、私たちは外部のものを目で見てはいるのだけれども、本当は目を通して心で見ているということになるように思えます。カメラでいうと目はレンズで、フィルムは心ということになるのでしょうか。人間の場合は、カメラのレンズとフィルムの間にフィルターがある様に思えます。外界の全てのものが、本来はフィルムに写っているはずなのに「心のもちよう」というフィルターがあるため、フィルムに写るものはそのフィルターをとおした景色や物が写るしくみのようです。「深い悲しみ」というフィルターをとおせば、桜も悲しみの色に見えるでしょうし、「待ち望んだ春」というフィルターをとおせば、桜はこの上ない美しさに見えることでしょう。できれば、なるべく早く日本国中の人たちの心のフィルターが明るい色になることを望みたいと思います。

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第20回目を始めましょう。

 

『今、何をするか?』について

今回の大震災について、「今、私たちに何ができるか」ということがテレビCMや新聞等で大々的に話題となっております。被災者の方にできる限りの援助をみんなでして行こうということに関しては、人間として当然のことと思います。そちらの方面に関しては学者・識者の先生方にいろいろの方法を提起してもらえばよろしいのではないかと思います。ところが、経営者となると、それだけでは足りないような気がします。この震災の後、社会がどうなるかということを自分なりに予測して先手を打っていかないといけないと思います。そのことが経営者の「今、何をするか?」ということだと思います。

それでは、今現在、わかっていることを列挙してみましょう。ただ、あくまで私自身の「心のフィルター」をとおしてわかっていることですので全てではありません。皆様方も、御自身でわかっていることがあれば付け加えてください。

1.計画停電は夏に規模を拡大して実施される。

2.被災地の復旧工事は、超大規模なものとなる。

3.原発事故は半年から1年程度かかりそう。

 

上記のことが報道等からわかっていることですが、その影響を私なりに考えてみたいと思います。

計画停電について

都内にお住まいの方はわからないかもしれませんが、私の家は第2グループに属しており計画停電を経験しております。計画停電という単語から想像すると計画的に停電が実施されるように思われがちですが、実際は「無計画不公平停電」と命名したほうが良いと思われるくらいひどいものです。計画というのは何時から何時までというのが計画であるはずなのに、開始時間が20〜30分程度遅れる、終了時間が1時間程度早まるというビジネスの観点からは計画性のかけらもないひどいものです。こんなことを都内のオフィスでされた日には仕事になりません。停電中は信号機までストップするくらいですのでエレベーターは使えず、オフィスのビジネスホンもパソコンも使えなくなります。完全にその地域だけ活動がストップするわけで、経営者の観点からすると社員に給料だけ払うことになり、仕事もできないのに家賃だけ払うことになります。

また時間だけでなく、やる・やらないもひどい時には当日の昼に決定という日もありました。こんなのは計画ではなく、その日の気分みたいなものでしょう。よほど夏場までにやり方を考えていただかないと大変なことになります。

地域も、同じ第2グループなのに通り1本先は停電になっていないというのはザラで、その説明すらありません。変電所が違うなどと説明していますが、一緒に停電になる時とならない時があるので嘘でしょう。地域もその日の気分で停電にしているようです。東京電力のやり方が、このようなやり方ですので特に工場などはどうしたらいいのかわからない状況だと思います。

現在のやり方が踏襲されることを前提として、夏場の計画停電の対策を検討しろといっても無理があります。わかっているのは「商売にならない」ということです。せめて午後の1時から3時まで全世帯停電というほうが、よほど経済的にはありがたいと思いますが「商売」がわからない現政権では期待薄かもしれません。いずれにしても「商売にならなくなる」というのは確かなようです。

計画停電に関連して、「節電」も商売からしたらマイナス要素です。冒頭でも申しあげましたが「節電」による「暗さ」は心のフィルターを暗くします。気分が暗くなると「消費」という行動にはなかなか結びつかなくなるのではないでしょうか。物理的な「明るさ」と心の「活気」とは明確な因果関係があるように思えます。寂れた街は、夜歩いていてもいたるところシャッターが閉まり暗いものです。少し前の渋谷などは朝まで明るい状況でした。このような「節電」にオフィスの中などで協力するのは結構ですが、店舗などは自殺行為に近いといえます。よほど全国規模の多店舗展開をしていて、目立つような店舗でなければ、逆転の発想で目一杯明るくしたほうが、目だって業績が伸びるでしょう。中小企業で店舗をお持ちの方はぜひ明るくすることをお勧めします。最近は、LEDの電球も安く購入でき結構明るいので、節電にもなり商売にもつながる一石二鳥になるはずです。

被災地の復旧工事について

被災地の復旧工事に関しては、私があれこれ言うまでもなく超大規模なものになることは自明の理です。津波で一日にして20万人近くの被災者を出したわけですので単純計算で、一世帯4人としても5万件近くの建物がガレキとなってしまったということになります。それ以外にも、公共の建物や工場などが被害にあっているわけですので東北地方を中心として、ここ2.3年以内には建物の需要が急増することは間違いないでしょう。その前段階として、ガレキの撤去に伴う重機・トラック等の作業車の需要増、処分のための埋立地の確保など復旧にむけての大掛かりな国を挙げての施策が実施されることは明らかです。また、家を新築することにより家具や家電など什器や衣料も大量に必要になることでしょう。そのように考えた時、直接的に関与できる業種とそうでない業種に分かれることは仕方ないにしても、マーケットとしては非常に需要が大きいマーケットと見ることができます。被災者の方をお客様とみる事自体、何か罪悪感にかられるかもしれませんが、お客様に喜んでいただけることが商売の一番の幸せだと私自身は考えておりますので、お金を払ってでも喜んでいただけるような商品やサービスの提供は積極的に参加するべきだと思います。

ただ、一つ気がかりなのは、阪神淡路大震災の被災者の方と比較して、今回の被災者の方たちには高齢者の方々が多く、もう一度ゼロからの出発という覚悟のある方が比較的少ないように見受けられます。

原子力発電所の事故について

福島の原子力発電所の事故については、私は専門ではないのでよく分かりませんが、調べてみるとスリーマイル島の事故、チェルノブイリの事故ともそれほど長く外部に放射能を放出していなかったようです。両方とも1週間以内にはそれなりの決着がついていたようです。しかし、福島の原発は発生後もうすぐ1ヶ月になろうとしているのに、決着がまだ見えません。今後、急速に事態が進展するとしても、環境汚染等の最終決着は半年から1年以上続くものと見なければならないでしょう。風評被害も、陸地だけにとどまらず海にまで影響を及ぼしています。日本の魚や野菜、果物は安心、安全と海外から評価を受けていましたが、現在では真逆の評価となっています。人の噂も七十五日といいますが、そうすると安全宣言が出てから約2ヶ月ということですので、最低半年は放射能濃度のシーベルトやベクレルというよく分からない単位とお付き合いしなければならないのかもしれません。

「今、何をするか?」

さて、以上のことをふまえて今何をするかですが、当然のこととして最低限、手元流動性の確保ということになると思います。手元流動性とは、現金預金をたくさん持つ事ですが、その為には銀行から借入をするという方法も選択肢の一つです。日本政策金融公庫(旧国民金融公庫)では、計画停電の影響、風評被害等で経営環境が悪化した企業にセーフティーネット貸付が用意されています。資金繰りを良くする為には3つしか方法がありません。1つ目が利益を出すこと。2つ目は早くもらうこと。3つ目は遅く払うことです。今後の情勢はプラスの方向に振れることはあまり期待できそうにありません。売上が20%程度落ちたとしても、採算ギリギリになるような方策を今から考えておかなければなりません。1つ目の利益が出なくても現金が減らないような工夫が今から必要です。そして早くもらって、遅く払うことも今から準備しましょう。

さて、今回の大震災の被害総額は20兆とも25兆ともいわれています。国が負担すべき金額は明確ではないのですが、1/3としても6兆から8兆円という金額になります。税収は御存知の通り40兆しかありません。赤字国債を40兆発行して去年の予算は執行されました。今年はそれに上乗せが当然必要となりますが実際には、まだ決まっていません。日本国債ですが、これを買っているのは金融機関です。日銀は金融機関向けに低利でお金を貸します。そのお金で金融機関は国債購入に当てているのです。早い話が、日銀が国債を買っているのと同じということです。日銀が国債を買うということはお札をいっぱい刷っているのと同じこととなり、理論上はインフレとなります。インフレは物の価値が上がり、お金の価値が下がることです。今日現在1ドル85円程度の相場ですが中長期的にはもっと下がることが予測されます。余裕資金の範囲内でアメリカ国債を買うとか、為替予約するのもいいのかもしれません。

次に、東北地方の被災者の方たちには、一時的には衣食住が必要となりますが、長期的には仕事の確保ということが非常に重要な要素となってくるはずです。関東地方で直接雇用するというのは、なかなか難しいと思います。中小企業としてできることはビジネスパートナーつまり協力会社や人を育てることは可能だと思います。直接、進出しなくても仕事を出してあげればいいのですから、その様な取り組みが、草の根となり広がっていけば義援金よりよほど価値の高いものとなるはずです。

いずれにしても、心のフィルターを「災害」というフィルターから「大きなチャンス」というフィルターに変えるだけでも、ものの見方が大きく変わるはずです。心のフィルターを変えるのには、お金は1円もかからないわけですので、ぜひともフィルターだけでも変えていただくことをお願いいたします。

author:吉村 以知郎, category:2011年, 14:50
comments(0), trackbacks(0), - -
『危機に直面した時』について (商売のヒント vol.19)

 3月は春らしい日が何日か続いたと思ったら、いきなりの地震で混乱した月となってしまった感があります。御親族、御友人で被災された方には衷心よりお見舞い申しあげます。私の事務所でも、ちょうど確定申告の最中で全員事務所におりましたが、本棚の本が落ちてくるというより「ふっ飛ぶ」という表現があてはまるように散乱しました。ビル自体もミシミシ音を立て揺れていましたが幸いにも倒壊することなく持ちこたえてくれました。1度目の地震もすごかったですが、そのあと何回も余震といえるのかどうかわからないすごい揺れが続き避難しようにもできないような状況でした。また、エレベーターも止まり、地上に降りるには非常階段で数分かかるような状況ですので、先ほどより大きい揺れはもう無いだろうと思い、外に出てジタバタするよりは事務所の中にとどまる選択をしました。しかし、被災地の方は地震の後、30分程度で津波が押し寄せてきたわけですから、最初の地震が落ち着き、我にかえるのに10分程度はかかるわけで実質20分で高台まで避難しなければいけない状況でしょう。その20分で何を持っていかなければとか執着していると間に合わないわけですので、瞬間的に全て捨てることができるかどうかが生死の分かれ目になったような気がします。

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第19回目を始めましょう。

 

『危機に直面した時』について

今回の地震は、直接的な揺れと津波に加え福島原発の事故も大きな問題となっています。津波は東北地方から茨城千葉方面まで広範囲にわたり襲ってきました。地震の揺れは東京でも震度5強の強い揺れを観測したわけですので基本的に関東から東北、北海道南部にかけて大勢の方が危機に直面したといえるのではないでしょうか。また、福島の原子力発電所の事故も、目には見えない放射能が風向き次第で、どちらにも降りかかってくる危機に直面しているのは関東以北の方なら皆様一様のことと思います。さて、そんな危機に直面した、あるいは直面している時、どのように行動するのがいいのでしょうか。テレビなどでは、いろいろな方法を解説したりしていますが、所詮、ギリギリのところにいないで高台などに避難した遠いところから解説しているように思えます。本当の意味で危機に直面した場合、全ての状況判断を一瞬のあいだでこなし、最適と思われる行動をとるというのは、なかなかできるものではないと思います。商売でも、ある意味危機に直面しているといえます。物資の欠亡、特に輸送に必要な燃料の逼迫、公共交通機関のストップによる人材確保難、輪番停電による工場等の稼動停止など、平時は想像もしていなかった出来事が今、現実に目の前におこっています。私の事務所に限らず税理士は3月15日が確定申告の提出期限でもあり、残り4日間でどう仕事をこなすかという「待ったなし」の選択を迫られた日々でした。自分自身が、最適最善の選択をできたかどうかはわかりませんが、無事期限までに全ての申告を終えることができたのは幸いでした。ただ、被災地に比べると随分恵まれた状況は確かですので、本当のギリギリの選択とは程遠いかもしれません。

それはさておき、地震の話になると思い出すのが中村天風先生の「成功の実現」という本の19Pからに書いてある一節です。

 

 

胆力っていうのは、なにも英雄豪傑のような胆力をいうんじゃないですよ。人間としてもつべき普通の心の強さ。俺は神経過敏かしら、気がちっちゃいかしら。これが胆力あるかなしかである。心臓に毛が生えているかどうかじゃないですからどうぞ。心臓の毛の方なら、私があなた方に教わらなければならない。毛はいくらあってもだめ、正味強いものでないと。

もう哀れなほど気の弱い人が、しかも、堂々たる男子の中にさえある。一昨日まで私、淡路島にいた。こんど新しく警察の署長さんになったのが天風会員で「阿波の鳴門をご覧にいれかたがた、洲本の有志家にお話を」ってんで、行ったんです。その時に、土地の有力な人が三人来まして、

「つかぬことを先生、うけたまわりたいんですが、近ぢか大地震があるそうですが、ありますでしょうか」って言うからね、

「そうねえ、地面の上にいる以上は大地震があろうよ。怖いの?」

「へえ」

「そう・・・・、それじゃアドバルーンに乗ってたらいい」

「いえ、冗談じゃありません。本当にあるかないか聞いているんです」

「そりゃあるよ、きっといつかは」

「いえ、四月二十日だそうです」

「ほう、そいつはどうも私は断言できないね。しかし、あったらどうするつもり?」

「いや、それがおっかないんで聞いているんです」

「おっかないんで聞いて、あると言ったらどうするつもり?」

「それから先はまた先生に相談して・・・。どこへ行ったらいいか教わりたいと思って」

「あんた、失礼だかいくつ?」

「五十九であります」

「そのお隣は?」

「はっ、六十一であります」

「あなたは?」

「同じ年であります」

「何をなさっていらっしゃるの」

「はい、一人は教育委員長で・・・」

「あなたは?」

「私は社会福祉のほうの仕事をしています」

「やめちまいなさい、そういうのみんな、あなた方。で、まあ四月の二十日に無事か無事でないかわからないからね遠くへ行くか?いまねジェット機で十二時間でアメリカへ行けるから、アメリカへ行っちまいなさい。日本がおっかなければ」

「いえー、先生は平気でいるけれども、おっかなくないんですか?」

「天変地異を快しと思う者がこの世の中にいるかい」

「じゃあ、先生もやっぱりおっかないでしょ」

「おっかないという言葉で表現はできないけれども、うれしいとは思わないね」

「だから、地震が起こったらどうします?」

「どうしますって、起こってみなきゃわからないじゃねえか」

「潰されると死にますよ」

「そりゃあ、潰されりゃ死ぬよ。しかし、潰されないかもしれないことも考えなきゃ。あんた方失礼ながら、三人そろって私のところへ来たが、そんなふうだと毎晩おちおち寝ないんじゃ・・・」

「へいへい、そのとおり。寝ろったって、寝られませんよ、先生。いつだってグラグラッとくるかわからない」

あなた方は笑って聞いているけれど、なかには本当に気にしている人がありゃしないか。ひょっとするとあるかもしれない、この間『週刊読売』に書いてあったなんて・・・『週刊読売』に書いてあれば、本当にあると思うんですか。あったらあったでいいじゃないか。地面の上にいる以上あるよ。絶対に動かない地面ってないもの、地球がしょっちゅう回っているんですから。

人間というものは、死ぬ時は死ぬよ。何にもなくても死ぬ時は死ぬんですから。それよりはもう少し気の利いたことを考えたらどうだろうと思うけれども、どうも気の利いたことを考えられない。ことほどさように神経というものが過敏になっちまうと、哀れ惨憺たる状態になるらしいですなあ。

もう気の小さい人になると、今度は何かありゃしないかしらん、普段と違ってネズミが天井でえらく騒ぎやがる。どうも風がよけい吹くが火事でもあったらどうしようとか。

自分の心のなかにいろいろな幽霊を描いて、おっかながっておちおち夜も寝られないって人が随分あるのではないでしょうか。そういう人は、毎日がきわめて落ち着かない、おっかなびっくりの状態で生きている時間が繰り返されているだけです。これじゃ長生きできませんよ。その方面からの影響で、神経生活機能がぐんぐんより悪い状態にされちまうんだ。これはまた、あとの話に出てきますが、神経生活機能のもつ役割というものをお話しするとわかる。

 

 

というくだりがありまして地震の話になるといつも思い出すわけです。たぶん、この話は昭和30年代の私が生まれた頃の話だと思うのですが実際に阪神淡路大震災があったのは平成7年(1995年)ですので30年以上経ってから実際の地震が起きていることになり、登場人物の教育委員長さんなどは、心配するだけ心配して自分の人生を自分で縮めるような生き方をされていたようなので本当の地震が来る前にこの世にいないと思われます。

 

さて、本題の「危機に直面した時」ですが、これも同じ「成功の実現」の199Pからに書いてあります。

 

 

私がインドに行って三日目、山に行く道すがら先生からこういう質問が出た。

「野原を歩いているときに、後ろをヒョイッと見たら虎が追いかけてきた。そこで、たまらぬと逃げ出して、どこか安全なところはないかなと、はるか向こうを見ると、大きな松の木が天にそびえてる。これだっていうんで松の木に登って、チョイと下を見ると、その松の木の枝の出ている下は底知れない谷だ。

ここなら虎も上がってこないわ、ここにしばらくいようと思っているときに、ヒョイと気がついて頭の上を見たら、頭の上から大きな蛇がお前を飲もうとして紅蓮(ぐれん)の舌をペロッペロッと出して近寄ってきた。上に大きな蛇、下に虎。

そこで、これは困ったというんで、どこかに逃げるところはないかと、ヒョイッと足元を見ると、谷底へ(つた)(かずら)が下がっていた。これだこれだ、この蔦葛にひとつぶら下がって入れは、蛇も虎もどうすることもできないっていうんで、蔦葛にぶら下がった。いいか。そうしたらば、やれ安心と思ったのもつかの間、手元に何か怪しき響きを感じてきたので、ヒョイと上を向いたら、何と貴様、そのつかまっている蔦葛の根を、リスめが来て、ボリボリ食いおった、どうする?」こういう質問なの。

そのままあなた方にも言う。どうする?

そのとき私はね、あなた方と違って、何べんか、もう駄目だという生死のなかをくぐり抜けた後の、いわゆる生死経験の者でありますから、あなた方ほどあわてませんでした。私、にっこり笑ったよ、その時に。どうせ、むこうの満足するほどの返事はできないかもしれないけれども、私としてはこう考えた。何もあわてることはないじゃないか。切れるまでは生きているんだから、切れて落っこちてからの後のことは、落っこちてから後に考えればいいと思ってね。

「落っこちるまでは生きておりますから、そのまま安住してます」と言ったら、「偉いっ、それなら先ざき見込みがあるぞ。それが人間の世のほんとうのありさまじゃ」

これが、人間の世のありさまなんです。気づかないために安心しているんではなく、気づいたときでも安心ができるようでないと、本物じゃないわけだね。ところが、あなた方、気づかざる場合には知らぬことで、我が心を煩わさないから何も考えないけれども、わかったら大変だ、ねぇ。

わかったら大変じゃいけないんですよ。わかっても、我れ関せずの心になり得れば、人間の世界に何の恐れも感じない、実に安心した状態が続いてくる。

 

 

長くなりましたが、今回は私の尊敬する中村天風先生の本の中から御紹介いたしました。

今、目の前にある危機は、確かに我々が経験したことがないくらいの大きな危機かもしれませんが、先に谷底に落ちた後のことを考えて心を煩わすより、今の状況に安住していれば、今なすべきことがはっきりと見えてくるものなのかも知れません。

author:吉村 以知郎, category:2011年, 14:47
comments(0), trackbacks(0), - -
『社員は変われるか』について (商売のヒント vol.18)

 2月の節分、立春もあっという間に過ぎて、関東地方は日差しにも早春の気配が感じられる今日この頃です。去年の猛暑から今年にかけての厳寒、中間の秋や春があまり目立たなくなっているのかも知れません。できれば今年の春は、本当に春らしい春を期待したいものですね。2月は4週間28日しかなく、すぐ3月の声を聴くことになります。旧暦は太陰暦ですので、月の満ち欠けによって月の日数を決めているので2月も基本的に毎年29日あります。ひと月は新月から始まり、約15日で満月となり、また約15日で新月になります。つまり月の状態で今何日頃かわかるわけです。月は新月の状態から向かって右側から三日月が出てきて約1週間で左が暗い半月になり、その後満月、そして今度は向かって右側から欠けていきます。太陽暦は月の満ち欠けとは関係ないため、現代の人間は月を見て暦を感じることが無くなりましたが昔の人はカレンダーがなくてもおおよその日付がわかっていたのではないでしょうか。少しロマンを感じますね。

毎度のことながら、皆様の『商売』の分野については素人の私ですので未熟な私の哲学や思い込みもかなり含まれていくことになるとは思いますが、その時は御笑覧いただければ結構です。それでは第18回目を始めましょう。

 

『社員は変われるか』について

中小企業の経営者の方とお話をしておりますと感じるのは、一番はやはり「売上をいかに伸ばすか」ということであり、その次に「社員」の問題を抱えられている方が多いように見受けられます。「資金繰り」が切実という方も中にはいらっしゃいますが、その原因は基本的に「売上」「社員」とからんで来るものなので、この2つが大きな要因のようです。先日、経営者さんが集まる会合で話題になったのは、ある経営者の方が投げかけた疑問でした。「社員は変われると思いますか?」という質問です。多分、この経営者の方は、御自分の会社のある特定の社員の方を想定しての質問であっただろうと思います。この議論は、私が独立したての頃、先輩の税理士さんたちと事務所経営について一杯飲みながら、いつも交わしていた議論です。私は開業当初の時代を懐かしくも思いながら、この問題は、中小企業にとっていつの時代でも業種を超えた問題なのだということを実感しました。

私たちが、以前やっていた議論も、各経営者である税理士さんは、常に自分の事務所の特定の職員さんを想定して「ああだ。こうだ。」言うわけですが、よく考えてみると各事務所の特定の個人である職員さんを、税理士事務所の職員一般というまな板に乗せて議論しているわけで、議論がかみ合うわけもなく、答えも出るはずのない議論に終始していました。結局はどこどこの事務所の誰々が、どういう辞め方をしたであるとか、その事務所と比較してウチはまだましだということの確認しかできないけれど、みんな真剣に議論していました。

先日の経営者さんの集まりでも「教育次第で変われる」という方と「変われない」という方に分かれましたが、私を含め多数派は「変われない」でした。皆さん、それぞれの経験と実際の社員の方の顔を思い浮かべながらの回答だったと思いますが、質問をされた経営者御本人は本当の答えが見つからなかったのだろうと思います。まな板の上に、いろいろな魚を乗せて「魚とはおいしいかまずいか」という質問をしているようなことなので答えが出なくて当然です。

この先は、私の個人的なわずかな経験を基にお話しする私個人の意見ですので、当然全ての人間に当てはまるものではなく、私個人にだけ通用するものかもしれませんので、その様にお読みください。

私が考えるには、私を含め人間はダメな方には変わりやすいが、いい方に変わる人間は本当に少ないということです。「玉磨かざれば光なし」のことわざがありますが、当初は一生懸命やっていた人間が、だんだんダメな方に変わっていくのを見るのは悲しいものです。つくづく私自身の人徳の無さを痛感します。年齢的にも20代であれば、まだ変われる余地はあるとは思いますが、30代40代になると並大抵のことでは変われないように感じます。一番最悪は「なまけ癖」のついた人間はどうしようもないという様に思います。いるだけで周りに「なまけ癖」がうつるので、すぐにでも辞めさせたほうがいいというのが私個人の考えです。「なまけ癖」以外でもよほど「向上心」を持った人間でないと変わるのは無理だと思います。

「変わる」「変わらない」という点について、私自身は「いい方に変わらないほうが大多数」という結論ですが、経営者が「変わって欲しい」変わり方については今回はテーマとしませんので次回以降のテーマとしてみたいと思います。

さて、昔、私といつも議論していた先輩の税理士さんたちですが概ね10数人ですが、そのうち2人いい方に変わった人がいました。何がキッカケとなったかはわかりませんが、毎晩ネオン街で飲み歩いていた人間が急に税法の勉強をしだし、その道の権威となったり、地道な経営の努力をコツコツやり始め積み重ねていく人間になったりした人間もいます。ですが、その他は十年一日の如く昔と変わらないように私の眼には映ります。経営者の端くれの税理士でさえこの程度なのですから、会社から給料をもらうという発想の社員では、変わること自体に希少性があるように思えてなりません。その宝くじのような確率を毎日期待することに価値があるとは、私自身、思えないのが現状です。

毎日、社員の顔を見ながら、その様なことを期待したり、考えたりして、経営者の心を煩わせるほうが、よほど会社の業績を悪化させる原因だと私自身では考えます。なるべく早く、その様な心を煩わす社員とはおさらばして、まずは経営者のことを単純に好きな人間を基本として、事業経営されたほうがよほど効率が上がると思います。会社は経営者の私物ではないにしても、通常、命の次に大切と言われているお金を社員に給料として払うわけですから、経営者も自分のことが基本的に好きな人間に払いたいと思うのは人情として当たり前のことです。経営者自身も、自分のことが基本的に好きな人間のために一生懸命頑張ろうというヤル気が出てくるのは自明の理です。私自身の経験からも、問題分子がいなくなると全ていい方に廻りだすということはいえます。

ただ、中小零細企業は何百人も社員がいるわけではなく、せいぜい数名から数十名です。その中から問題分子を切り離すわけですから、一度は人数が少なくなることは仕様がありません。その人がいなくなっても仕事がちゃんと廻る状況を作ってから辞めてもらうというのは当然のことながら必要です。ジャンプするには、一度しゃがまなければなりません。自然に背丈が伸びている成長期は別として、しゃがむのを恐れていたら、永遠にジャンプなどできません。そして、一旦しゃがんだならば、周りは基本的に経営者のことが好きな人間ばかりのはずです。その人たちを集めて、「私はこの会社をこのようにしたい」「この会社でこのような仕事がしたい」「こんなこだわりを持って仕事をしたい」というように普段考えていることを熱く語ってほしいのです。そして語った後、今度は社員の皆さんから一人一人意見を語ってもらいましょう。そうして、社員と経営者のベクトル(方向性)を一致させてジャンプするのです。そうすればきっと「明るく楽しく充実した」毎日が待っていることと思います。先月は、この経営者と社員のベクトルを一致させるお手伝いを2社ほどやらさせていただきました。皆様も、もし必要でしたらいつでもお声かけ下さい。ちなみに、今私は「明るく楽しく充実した」毎日です。

author:吉村 以知郎, category:2011年, 14:45
comments(0), trackbacks(0), - -